平成18年5月17日号
第6回 ISOWAの今、そして明日第2話 ISOWAビト、未来へ磯輪英一、叙勲
「ISOWAは独立独歩の企業ですから、万が一、困ったことが起きたとき、助けてくれるところがありません。つまり、自分の身は自分で守るしかない。本業以外に手を出さなかったのは、こうした経営哲学に由来しているのです」。 現会長の磯輪武雄は当時をこう振り返る。当時は“愚直”とまで呼ばれた、地味で堅実な経営姿勢の正しさは、いま、あらためて言うまでもないだろう。 バブル崩壊後、日本経済は長い冬の時代に突入した。ゆるぎない経営基盤を確立していたISOWAにとっても、その経済環境は厳しいものだった。しかし、大企業では難しい小回りの良さを生かした丁寧なサービスと、持ち前の技術力を駆使した新機種開発の2本柱で、専業メーカートップの座をひた走った。 出口が見えない平成不況の世の中にあって、しかし、ISOWAに嬉しいニュースが飛び込んできた。現相談役の磯輪英一が、長年の功績を認められ、日本国政府から平成5年に藍綬褒章を、さらに平成11年、勲5等双光旭日章を授与されたのだ。 「まさか、自分が勲章をもらえるなんて思ってもいませんでしたから、驚きましたよ。でも、これは、私個人というより、これまでのISOWAの歩み全体を評価していただけたもの。みんなを代表して頂戴したわけです。“ISOWAもここまできたか”と考えると、誇らしく、感無量でした」(現相談役・磯輪英一)。 社員が率先して始めた風土改革
だが、そんな“氷河期”とも呼ばれる厳しい外界とは裏腹に、あるいは、新世紀の訪れに敏感に呼応したかのように、ISOWA社内では、新たな胎動が始まっていた。奇しくも同年執り行なわれた、ISOWA創立80周年記念の催しが、直接のきっかけとなった。 ある著名なコンサルタントを招いて行なった講演会のテーマは、「これからの会社をどうするか」、「そのなかで社員1人ひとりはどうあるべきか」。この話に刺激を受けた若手社員から“自由に話ができる場を作りたい。まず、場所だけ提供してもらえないだろうか”という提案が届いた。私がその申し出を断る理由はどこにもない。 8名の有志が自主的にスタートさせたオフサイト(業務外)活動『定時後ミーティング』は、『リノベーション』、そして、『社楽』へと発展していった。“終業後も夜遅くまで大変だね”という私の問いかけに、あるメンバーはこう応えてくれた。 「全然大変じゃありませんよ。社長に言われたからやっているんじゃない。自分たちのためにやっているんだから、楽しくやってます」。 段ボールを通じて世界中に夢を
さらに翌々年の平成17年には、CANONと4年を費やして共同開発した【Box Dream】が、ついに完成し、その実力を世に問うこととなった。同機の開発に携わってきたのは、35〜37歳の若手スタッフが中心。つまり、【Box Dream】は、次世代を担うISOWAビトたちが、ISOWAの次代を占う製品を作り上げるプロジェクトだったのだ。 「平成16年の夏頃には、“上手くいかないかもしれない”と弱気になったことも、正直ありました」。 開発に際し、中心的な役割を担った現製函グループマネージャーの畑佐和弘は、【Box Dream】の記者発表を前に、振り返った。 「技術というのは、保守的にならざるをえないところがあるんです。でも、そこを1歩踏み出さなければ。発表に至った【Box Dream】ですが、品質向上の手は今後も緩めません」。 【Box Dream】は、今までにない段ボールの需要を喚起できる画期的な印刷機として、素晴らしい反応を獲得している。 創業以来85年、ISOWAは本当に手堅く企業活動を続けてきた。無借金で財務体質の良さは抜群。そんな環境で経営に携われる私は、実に恵まれている。 “段ボールを通じて世界中に夢を提供する──。”このテーマを実現していくのが、ISOWAの役割だ。ならば、それに関わってくれるISOWAビトたちに夢を提供するのが、私に課せられた使命に違いない。ISOWAビトとして生を受けたこと、そして、ISOWAを今日まで築いてくれた先達諸氏に感謝の意を表し、連載の筆を次の者に譲りたい。 |