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平成18年6月17日号
ISOWAビトの物語


株式会社ISOWAを支えてきたISOWA人――ISOWAビトの生きざまを追う時空を超えた旅は、現在へと辿り着きました。

今回より、社長・磯輪英之から今春入社の新入社員にナビゲーターを代え、視点も新たに、これまでのISOWAを担い、そして今も尚活躍を続けるISOWAビトの生きざまを映します。

新入社員へと語り継がれるISOWAビトの物語を御覧下さい。

会社に製品あり、製品の影に人あり、人に歴史あり――。株式会社ISOWAを形成してきたISOWA人――ISOWAビト。初回、登場するISOWAビトは、東京でのサービスマン時代を経て、大阪営業所の所長を務めた神村忠男。機械の感性を磨きながら、ISOWAの信頼を担ってきた彼が語る、数々の出会いの物語とは・・・

第1回 技術者としてのプライドを胸に

人の成長には必ず必要なものがある。
“出会い”である。
人との出会いなのか、偶然手に取った1冊の本なのかは誰にも分からない。
それは必然が招く、まさに運命の出会いである。
どのような出会いであろうと“心”が変われば人は成長していく。
ここに多くの出会いを経験してきた男がいる。
ISOWAビト、技術の神村忠男である。
彼を成長させた出会い、そして、心の変化。
今回、彼が辿ってきた軌跡を知ってもらいたい。

 「技術者としてのプライドがある」
彼はあたりまえのようにその言葉を口にした。長年の経験からくる、まさに人生の塊のような言葉である。
だが、今だからこその言葉、と言うわけではない。入社してから今に至るまで何度もその言葉を口にしてきたのだろう。入社から40年余り、ISOWA一筋で働き、プライドを磨き続けてきた。
彼のプライドはまさにISOWAのプライドである。

東京、夢への感性を探し

社員旅行先で、同僚とともに。左から順に、神村、河口(現大阪サービス)、南(現サービス部門長)。
神村は昭和37年、愛知工業高校卒業後、機械設計を夢見てISOWAに入社。技術部に配属されるも、自分にはまだ足りないものがあると日々感じていた。そんな折、東京出張所へ転属の話しが持ちかかった。入社2年目のことである。同期や先輩達が断る中、この転属を機械設計に必要な感性を磨くチャンスと思い、右も左もわからないサービスマンの道へと歩き出した。道は違えども機械設計への思いはまったく変わっていなかった。

 当時、出張所と言ってもわずか数人の小さな事務所。まだISOWAの知名度も低かった。そんな中で彼は3人目のサービスマンとして迎えられた。
「東京での日々は手探りの毎日だった」
当時をそう振り返る。まだ電気系の知識が乏しく、メンテナンスも自分達だけでは満足に行えなかった。
「機械メーカーが自分達の機械の事もわからないのか!」
無理を言って頼んだ電気業者にも厳しく叱咤されたこともあった。しかし、この失態を活かすべく、仲間を集めて少しでも多くの電気系の知識と技術を身につけようと努力した。こうした中で技術者としてのプライドが養われたのだろう。

 「段ボールメーカーのサービスマンは、機械の医者でなければならない。 サービスマンは行く先々で様々な注文、相談を受けてくる。そのひとつひとつに対応出来なくてなにがサービスマンだろうか」
自分の技術に自信があり、なにより自社の機械に自信がある、彼ならではの 言葉だ。同じ箇所が繰り返し故障すれば、原因を徹底的に追究した。
難題を前にすれば、自分のプライドと技術で取り組んだ。
彼の仕事振りを疑う人はいなかった。しかしサービスマンとは機械の問題点を解決できれば良いというわけではない。常に人の立場となり仕事を考え、自分達に利益がなくても、お客様となる人達に本当に必要な機械を入れるため、対策を打つ。それが本当のサービスマンである。

大阪、更なる出会いと成長を求めて

  アメリカ出張の帰りに、羽田空港にて。お客様の工場へ向け、単身渡米した。
東京での勤務を終えて、一度は本社に戻ることとなった彼に、再び大阪への異動の話がもちあがった。営業所長という未だ経験したことのない仕事である。しかし、不安はなかった。彼は東京時代、多くの人と出会ったからこそ自分が成長できたと感じていた。この大阪でもどれだけ多くの出会いがあるのか期待に溢れていた。ところが実際にやってみると、機械から人との付き合いに変わって苦悩も多かった。そんな時、投げかけられた1つの言葉が彼を救った。
「機械を売る方と買う方は対等。ということは、言うべき事は言う、受けるべき事は受ける」
気持ちが楽になった。また、所長としての活動の中、お客様が何を必要としているのかを考え、他社の製品との差別化を図った。立場は変わっても技術者としてのプライドは薄れなかった。

 「一生のうちでどれだけたくさんの人と出会えるかは、財産である」 神村は東京と大阪を通じて約30年、数多くの人と出会ってきた。
彼を救った人、彼に救われた人、彼が居たからこそISOWAに安心して仕事を任すことができたと語る人もいる。そして、それを通じての様々な体験が彼を成長させてきた。神村が欲しかった感性はここにあった、そう言って差し支えないだろう。

夢の職場、未来への継承

現在の神村と筆者。神村忠男はコルゲータグループに所属し念願の設計の仕事にあたる。気さくな人柄で周囲から慕われている。
筆者の岩田賢二は、格闘と文章のセンスがきらりと光る、寂しがり屋の一匹狼。ISOWA期待の新入社員として、様々な部署で経験を積む毎日を過ごしている。
現在、彼は念願の機械設計に携わっている。入社してから37年目の事である。待ちに待った仕事、磨きに磨きをかけた感性を発揮できる場、まさに、ここからが新たなISOWA人生の始まりと言えるだろう。人から学び、感性を磨き、人へ伝える。機械を知り、未来を求め、機械を作る。こういった図面だけでは表すことのできない技術を次の時代へ伝えていくのも重要な彼の仕事である。

  「ISOWAで学んだことは、ISOWAでこそ活かされるべきだ。得たものは全部ISOWAに残していく」

夢を手にするまで40年近く、その40年を終始笑って話した。

「多くの仲間に支えられてきたからね、辛いこと?そんなのすぐに忘れたよ」
とまた笑った。




   文中敬称略